ホームページ タイトル 本文へジャンプ
横須賀オン・マイ・マインド

(横須賀のタウン誌 「朝日アベニュー」に毎号連載中のショートエッセイをそのまま掲載しています。)


第31回  ジャズの一歩はコピーから
「アドリブはどうやってマスターするの?」との質問を時々受ける。方法は人様々だが私は「先ず最初にコピーありき」と思っている。先日、NHKの番組で秋吉敏子さんもスイングやモダンの巨匠ピアニストの演奏を徹底的にコピーしたと語っておられた。
 アドリブは決してでたらめを演奏する訳ではなくコードに沿ってフレーズを作るのだが余りコードにばかり拘り、頭で組み立てると誠につまらないソロになる。そこへ行くとジャズの巨匠のアドリブは実に味わい深く、かっこいいのだ。コピーを通じてこのかっこよさを懸命に追い求めるのである。
 ジャズを始めた頃は練習でいきなりソロをやらされた。コピーである程度感覚を掴んでおくとフレーズはでたらめ臭いが何とか格好がつくようになる。これって水泳を教えるのにいきなりプールに放り込むのに似た方法ではあるが。
 自分のスタイルや好みは年と共に変わってくる。それに応じて影響を受けるプレーヤーも変遷していく。然し、最初に徹底的にコピーしたプレーヤーの影響はいつまでも体の隅に残っているのである。まるで「初恋の人」の思い出のように。

第32回  ジャズとトーク
 ライブなどで曲の合間の司会やトークはライブに必要不可欠という訳ではないが、これの上手下手でライブの雰囲気は随分変ってくる。いわば料理の隠し味とも言うべき役割を持っている。
 トークに対するプレーヤーの考え方ははっきり分かれる。話で客席を盛り上げる人から終始寡黙で客席に半ば背を向けてただひたすら演奏するタイプまで様々である。「ジャズライブなのだから余計な事言わずに演奏だけしてれば良い。」と言う意見も分からぬわけはない。だが私の場合、お客様はジャズ通ばかりではなく初めての方も多いのである程度の解説は必要だと思っている。曲の由来や歌詞の意味等が分かれば多少は興味が増すというものだ。
 トークのもう一つの効用は曲間の息抜きである。BGMなら別だが、立て続けに演奏されたのではゆっくり飲食も出来ない。少しは店の売上にも貢献しなければならないだろう。
 話の面白いプレーヤーのライブは概して人気があるようだ。但しあくまで良い演奏あってのトークであり、ライブ後の感想で「話がとても面白かった」というだけでは素直に喜べないのである。

第33回  映画「スイングガールズ」を観て
 「スイングガールズ」はジャンル分けすれば青春音楽映画とでも言うのだろうか。あらすじは田舎の女子高生が授業をサボるためにジャズバンドを結成し、途中、様々な苦難を乗り越えて最終的にコンサートで大成功を収める、という他愛ないストーリー。話の展開や女子高生の演技に一部“あれっ”という面もあるにはあるが、アラ探しをしなければ非常に爽快な印象が残る映画であった。
 出演者は全員楽器の初心者ばかり。毎日の練習と2回の合宿で猛特訓し、1年足らずであの見事な演奏を実現した「実話」に映画のストーリー以上の感激を覚えた。
 撮影ロケ終了後の打ち上げでは女子高生役の出演者全員が感激で涙、涙の連続だったそうである。私自身の中学生のブラスバンド時代の経験とダブらせて最後の「シングシングシング」には思わず熱い物がこみ上げてきた。あの達成感、嬉しさは察するに余りある。館内を見渡すと若い高校生と思しき男女の客が多いのが目立った。この観客の中から少しでもジャズや楽器演奏の魅力に目覚める若者が出現してくれることを期待しつつ、潤んだ瞳の乾くのを待って映画館を後にした。

第34回  レパートリーのはなし
 レパートリーとは「いつでも演奏できる曲目」の意味である。音質や演奏テクニック等、音楽の質に対し、レパートリーは量的なキャパシティの広さを意味する。ミュージシャンであればレパートリーは多いに越したことはない。
 昔「トリスジャズゲーム」という番組があり、レギュラーバンドのBIG4が場内から受けたリクエストをどんな曲でも簡単な打ち合わせで完璧に演奏したのには舌を巻いたものである。メンバーの高い音楽性と豊富なレパートリーのなせる技であり、長年私が密かに目標としてきた芸当である。
 ジャズの場合のレパートリーは譜面も使うがストックは基本的には頭の中の引出しにある。従って出し入れは自由。但し一度聴いたら忘れないという技能もないとレパートリーは増えない。
 ライブではある程度やり慣れているか、または練習してこなれた曲を演奏する事が多い。所がリクエストを受けたり、フッと思い出して急に演奏したくなったりして引き出しの奥から曲を引っ張り出すとこれが意外に良い演奏で観客へアピールすることがある。不思議なことだ。だからジャズは面白くて止められない。

第35回  環境とDNAとホットジャズ
 私の生家は横須賀の外れにあり前が国道16号線、後は京浜急行。おまけに踏み切り脇とあって文字通り朝から晩まで騒音に囲まれていた。たまに泊った友人達は朝方一番電車に起こされ、大型車の振動を地震と勘違いし、散々な思いをして帰って行った。
 実家の両親は二人揃って民謡を習い、晩年まで下手な歌を歌いまくっていた。私には音楽の「才能」はないが、「音楽好き」というDNAだけは確実に流れている。
 こうした環境とDNAが私をホットなジャズに向かわせたのかもしれない。ホットなジャズを言い換えるとスイング感のあるジャズのことである。子守唄代わりに聴いた電車の振動と踏み切りの鐘の音がリズム感として体に染み込んだと言ったらこじつけだろうか。
 実はこのホットジャズ好みのお陰でアメリカ演奏旅行の際、随分得をしたようだ。アメリカではスイング感のあるプレーヤーは大モテ。各所で大きな拍手をもらった私は、大いにノリまくりすっかり自信をつけてしまったのである。私はこれからも環境とDNAによって育まれた性格を大切にしていつまでもスイングするプレーヤーでありたいと願っている。

第36回  初心忘るべからず
 野球やサッカーでは練習の一環にランニングは欠かせない。ウォーミングアップに、オフの体力作りにと常に走りこむ。ランニングは体力作りの基本なのだろう。管楽器演奏の場合、極意は管を充分に振動させ、良い音を奏でることにある。運指はその後の問題である。それにはまず歌口から息を効果的に吹き込まなければならない。従って練習はロングトーン(一つの音を長く出す事)が基礎となる。つまりロングトーンとは丁度スポーツでいうランニングに相当するのである。所が基礎練習というのは何事もそうだが、単調で苦しく、面白くもおかしくもない。そこである程度慣れてくるとどうしても辛い練習は手を抜きたくなるのが人情である。少しくらいサボっても当面目立った影響はない。然し逆にこの地味な練習の継続が長期的には音質の向上につながるのだ。
 そこで新年は「初心忘るべからず。」ロングトーンの練習に一層力をこめようとと毎年改めて心に誓うのである。
 今回は新年を意識し、若干固い話になってしまいました。今年もまたご愛読のほど、よろしくお願い申し上げます。

第37回  私じゃない、ぬれ衣だ!
 今でこそ私はジャズ一筋であるが学生時代にはクラシックのオーケストラにも参加していた。オーケストラの魅力はメンバーに可愛い女子学生が大勢いた事で合宿にも積極的に参加したものである。また当時は音大の生徒やプロが多数応援(トラという)に来ており、名手達と親しく共演できるのも楽しみの一つであった。
 そんなある日、G大の女子学生でオーボエの飛び切り上手いトラが来た。彼女と私は隣の席、後の列には私の先輩の金管奏者で無類のいたずら好きが2名いた。先輩たちは彼女がちょっと生意気だというので休み時間に私も知らぬ間に彼女の楽器にそっと紙を詰めた。練習が再開し、いざ吹こうとしても一向に音が出てこない。悪戦苦闘している彼女に私は「そうして紙詰めて吹くんですか?」と無邪気な質問をした。その時無実の私に向けた彼女の憎悪と軽蔑に燃えた目は未だに忘れられない。
 何年後かにテレビを見てあっと驚いた。日本の一流オーケストラの定期公演で、主席のオーボエは何とあの紙詰め奏者だったのである。未だにテレビで彼女の颯爽たる演奏姿を見るたびにあのぬれ衣の一件をまざまざと思い出す。

第38回  頑張れ、ビッグバンド
 ジャズには大別すると大人数の編成から成るビッグバンドと数人編成のコンボバンドがある。クラシックで言うオーケストラと室内楽の違いのようなものだ。
 昔はどんな地方都市の盛り場にもビッグバンドの出演する店があったが嗜好の変化により衰退し、今ではプロのビッグバンドはごくわずか。しかも残っているビッグバンドも時々ある仕事の都度メンバーを寄せ集める有様なのだ。
 しかし、ビッグバンドが消滅した訳ではない。今やその主流はアマチュアに移り、アマチュアビッグバンドは花盛り。バンドの数が多いだけではなくその演奏レベルの向上は目を見張るものがある。私もビッグバンドに参加している一人だがその運営は想像以上に困難を伴う。メンバーの補充、練習場の確保、譜面の入手等音楽以前の苦労も数限りなくある。にも拘わらず精力的に活動するバンドが多いのは心強い限りだ。
 こうした状況がジャズファンの開拓につながればこんなに嬉しいことはない。昨年封切られた映画「スイングガールズ」のヒットも一翼を担っている。私は心底これらのバンドにエールを送りたい。フレー、フレー、ビッグバンド!

第39回  ミスしてもいいじゃないか
 フジコ・ヘミングと言えば人気実力共抜群のクラシックピアニストで彼女のコンサートチケットはいつも入手困難である。その彼女がエッセイの中で「間違ってもいいじゃない、機械じゃないんだから」との名言を吐いている。
 一方、ルイ・アームストロングと言えばジャズでは今でも大きな尊敬を集めている伝説的なトランペッターである。そのルイが1947年のタウンホールコンサートで何を勘違いしたか曲を間違ってスタートし、もう一度やり直しているのだが、その時の演奏は歴史に残る名演となっている。演奏上のミスはないに越した事はないがたとえミスがあっても質の高い音楽の価値は損なわれるものではないと言う事を上の2例は物語っている。
 最近の録音技術はすばらしいもので殆んどのミスは編集作業で消去、修正して無難な演奏に仕上げられている。しかしミスが目立たないからといって良い演奏であるかどうかは別問題なのである。とは言え、上記の2人は紛れもない大家だからこそ許せるご愛敬であり、我々はミス撲滅を目指して日頃から切磋琢磨しなければならないのは言うまでもない。

第40回  映画”Shall We Dance?”を観て
 米国版”Shall We Dance”を観た。ストーリーは中年のサラリーマンが帰宅途中ダンス教室の窓辺にたたずむ美女に憧れて入門するが次第にダンスそのものにのめりこみコンクールに出場するという話。結末は伏せるが周防監督の原作を大変忠実になぞっている。
 原作をご覧になった方は両方の比較をしながら観るのもまた一興である。原作でのヒロインはバレリーナ出身の草刈民代で悪くないが、個人的好みからすると米国版のジェニファー・ロペスがとても魅力的。素晴らしいプロポーションでダンスもすごくセクシー。
 圧巻はコンクール前夜灯りの消えたスタジオでリチャード・ギアとタンゴを踊るシーン。ジェニファーにリードされて2人は絶妙なダンスを展開する。ゾクゾクするほど感動的なシーンであった。
 その時ジェニファーが「感じるままに動いて」とリチャードに指示する。更に踊り終わった後翌日のコンクールでも「命の通った踊りを」と授けるのだ。確か原作でもダンスコーチが「音楽を体で感じ、心で踊りなさい。」というシーンがあった。ダンスもジャズも共通するものがあるんだなと痛感させられたのであった。

過去のエッセイ

−第 1回から第10回
−第11回から第20回
−第21回から第30回
−第31回から第40回
−第41回から第50回
−第51回から第60回